南予の人

仲間とともに、“玉津”の柑橘ブランドと産地を守る。

代表 原田亮司さん 愛媛県宇和島市吉田町 /
株式会社 玉津柑橘倶楽部

原田亮司さん

プロフィール

玉津柑橘倶楽部 代表 原田 亮司(はらだ りょうじ) 写真上段の右から二番目

1983年、愛媛県宇和島市吉田町玉津生まれ。高校卒業後、県外で働き、22歳でUターン。3年後、家業の柑橘農家を継ぐ。2018年「株式会社 玉津柑橘倶楽部」を仲間と立ち上げ、代表に。

リアス式海岸が広がる柑橘のまち、愛媛県宇和島市吉田町の玉津地区。ここに2018年、20代から30代の若者でつくる「玉津柑橘倶楽部」は生まれた。その代表を務める原田亮司さんはUターンして柑橘農家を継ぎ、仲間とともにブランドと産地を守っている。

柑橘農家って楽しそう、で後を継ぐ。

玉津に帰ってきた理由は。

原田さん

高校を卒業してからは愛媛県内や県外でいろんな仕事をしていました。帰省するたび、柑橘農家を継いだ幼なじみに会い、彼の話から農業は楽しそうだな、いいなと感じていました。特別にやりたいことがあるわけでもなく、だったら家業の柑橘農家を継いでもいいのかな、と思って帰ってきました。
帰ってからすぐに家業を継いだのですか。

原田さん

最初の3年は農協の臨時職員として働きながら、たまに柑橘農家の家業の手伝いをしていました。農家の友人たちは、たとえば午前中に仕事を終えて、午後から海でバーベキューをするとか、自由に時間を使える。その自由な働き方や、自然の中で身体を動かす爽快感なども知り、柑橘農家として生きようと、25歳で家業の柑橘農家を継ぎました。
故郷に戻り、地域の見方は変わりましたか?

原田さん

正直、目の前の作業に精一杯で、地域や未来のことなんて考えていませんでした。もともと人を引っ張っていくタイプでも、世の中に対してアンテナを張っているタイプでもありません。そんな自分を一変させたのが2018年に起きた豪雨災害(「平成30年7月豪雨」)でした。
原田亮司さん

水害で、地域とのかかわりと見方を変える。

水害が原田さん自身にもたらしたものとは。

原田さん

柑橘畑や生活道路など、あちこちが土砂崩れに見舞われ、全国各地から災害ボランティアが駆けつけてくれました。自分はこれまで、各地で起こる災害に「大変だな」と思いこそすれ、どこか他人事でした。外からきて汗水を流すボランティアの姿を目の当たりにして、これまでの自分を反省しましたし、ぼくにもこの地域のためにできることがあるのではないかと思いはじめたのです。
ちょうど水害の年に、玉津柑橘倶楽部ができましたね。

原田さん

もともと、玉津には、柑橘のブランド力を高めようと6次産業化に取り組んでいる素地がありました。水害のピンチを乗り越えていくために、会社に移行しようというタイミングで、なぜかぼくが代表というポジションになりました。一応代表なのですが、みんな横一線でやっています。
原田亮司さん

一番左が原田さん

倶楽部の目的は?

原田さん

決して、営利が目的ではありません。大事なのは、活動を通して、玉津ブランドを伝えることです。みかんやジュースを売っていますが、一度農協に出荷したみかんを買い取って、販売・加工する方法をとっています。産地のために、農協ではできないことをぼくらがやるという共存共栄の関係です。あとは、耕作放棄地を引き受けたり、移住者を受け入れて会社で雇ったりと、農地や人の受け皿をめざして活動しています。
産地全体を見据えているのですね。

原田さん

災害を経て、各地からボランティアの皆さんが定期的に来てくれるようになりました。仲良くなったボランティアの人たちがいるので、人手が足りない収穫期は、農家さんの要望を聞いてアルバイターを無料で紹介することもやっています。

みかんの産地はどこも担い手が高齢化していて、玉津も若い人が少なくないとはいえ、例外ではありません。今後はもっと、「柑橘農家になりたい」という方の受け皿になっていきたいですね。研修や移住制度など、自治体の制度をうまく活用ながら、移住希望者を受け入れていきたいと考えています。
きずな博でも柑橘作業の担い手確保や移住などに取り組みます。

原田さん

自分たちがやろうと思ってもやれる範囲は決まっています。地域全体で取り組むのはとてもありがたいこと。運動が加速するなかで、こちら受け入れ側もしっかりと体制を整えておきたいです。
改めて、原田さんが感じる玉津の魅力とは。

原田さん

玉津の柑橘農家には、20〜30代の若手が多いんです。自然豊かで人も温かい。若い子たちが戻りたいと思える地域なのでしょうね。玉津の農地の傾斜は他と比べてすごいんです。だからおいしいものができるし、厳しい農地で作業するからこそ生まれる、「細かいことは気にしない」という玉津の陽気な気質も魅力なのかもしれません。ぼくも戻ってきてから、玉津のよさをさらに実感しています。大切な産地を守っていきたい。そのためにできることを、仲間と一緒に少しずつやっていきたいです。