南予の人

ゲストハウスをベースに内子の魅力を伝え、人と人とをつなぐ。

山内大輔さん 愛媛県内子町 /
ゲストハウス経営

山内大輔さん

プロフィール

山内 大輔(やまうち だいすけ)

1981年横浜市生まれ。世界を旅したのち、四国遍路をきっかけに愛媛県内子町に移住し、地域おこし協力隊に。現在、「古民家ゲストハウス&バー 内子晴れ」を経営。

伝統的な建物が軒を連ねる内子町の町並み保存地区で、ゲストハウスを営む山内大輔さんは四国遍路をきっかけに横浜から移住した。自身が魅了された地域のすばらしさを外に伝え、人と人、地域と人をつなぐ役目を、楽しみながら果たしている。

“お接待”の文化に惹かれて、移住を決める。

古民家の佇まいがすてきな建物ですね。

山内さん

「古民家ゲストハウス&バー 内子晴れ」(以下、内子晴れ)があるこの一帯は、江戸末期や明治のころの町家や屋敷が建ち並ぶ町並み保存地区にあります。もともと木蝋(もくろう)の生産で栄えた地域なので、当時の面影が残る立派な建物がたくさん残っているんです。内子晴れは、江戸末期に築かれた建物を改装して営んでいます。
山内大輔さん
なぜゲストハウスを?

山内さん

横浜から内子町に移住して、「地域おこし協力隊」をしていたころ、この建物に出会ったんですよ。直感で、ここがゲストハウスだったらおもしろいな、と。なぜゲストハウスかというと、内子の町並み、山並みの風景など地域全体の魅力を、当時案内したり伝えたりする人がほとんどいませんでした。その拠点になるのではと考えたのです。最初は経営する移住者を募ろうとしていたのですが、協力隊として地域とじっくり関わってきたぼくがその役をやる方がいいのでは、と腹を括りました。

個人的な理由もあります。世界40カ国ほどを旅したぼくは、未知の場所や人に会うのが好きで、ゲストハウスだったらきっと、田舎に住みながらも日本全国、世界各国の人とたくさん出会えるのではないかと思ったのです。
内子町の「地域おこし協力隊」を経験されたのですね。

山内さん

最長で3年間、その自治体から雇われて、地域活性のために活動するのが地域おこし協力隊です。着任してからは、自分のチラシを作って、民家を一件一件あいさつして回りました。まずは自分のことを知ってもらうことと、地域のことを知っていくためです。協力隊の間は、地域の人から頼まれたことは断らずになんでもやりましたね。
そもそもなぜ内子町なのですか。

山内さん

スペイン巡礼で、四国遍路を経験した青年に出会ったことがずっと頭に残っていて、29歳のとき、仕事をやめて四国遍路の旅に出発しました。お遍路の格好で歩いているだけで、ほぼ毎日、食べものや飲みものをいただく“お接待”を受けました。愛媛で、お接待に際限がないすごいおばあちゃんに出会って、「こういう人をめざしたい、この人がいる愛媛に住みたい」と、その生き方に突き動かされたんです。

当時、人と人とをつなぐ地域の働き方に興味を持っていて、インターネットでキーワード検索をしてたどり着いたのが地域おこし協力隊。ちょうど東京で愛媛の説明会があると知り、参加して内子町を選びました。
山内大輔さん

人の暮らしの営みが、うつくしい風景の源だと知る。

山内さんから見て、内子の魅力は。

山内さん

昔の建物を大切に守る町並みももちろん、ぼくが暮らす小田地区の風景も大好きです。初めて小田に来たとき、ひらけた景色のうつくしさに感動しました。そのうつくしさの背景にあるものを知ったのは実際にここで暮らし始めてからです。畑を守ったり、花を植えたり、地域の人にとって当たり前と思っている日々の営みが、外から来た人を感動させる。すごいことですよね。地域の人たちに、そのすごさを伝えるのもぼくの役目だと思っています。
山内大輔さん
きずな博では、ワーケーションや移住にも力を入れます。

山内さん

今年、父親になりました。わが子の小田地区の同級生は6人です。少ないメリットもたくさんありますが、子どもたちの未来のために、インフラを整えるのと同時に、ここの暮らしがいいと思える人を増やしていくことが大事だと思っています。

コロナ禍で、テレワークの需要も増えています。さらに、内子晴れのお客さんは、滞在型が増えています。そこで、長く滞在することですてきな出会いが生まれたり、南予の魅力や奥深さを知ったりしてほしくて長期滞在プランもつくりました。縁があって内子に訪ねてきた人に、その人に合った内子の魅力を伝え、人と人、人と場をつなげていきたい。きずな博をきっかけにそのチャンスがもっと増えていくことを願っています。